達 磨 大 師
達磨大師はインドから中国へは三年もの歳月を費やしています。
交通未開のころ、しかも老齢の身をもって未知の国へ向かうその勇猛心は、
身命を惜しむ凡人には思いも及ばないところで、ただ、ひたすらに真理を伝え、
迷える人々を救おうという大慈悲心から生まれた尊い仏行であったのです。
達磨大師の入国を知った梁の武帝(520年頃)は、人を派し、大師を南京に迎え、
「自分はこれまで寺を建て、経を写し僧尼を供養してきたが、どんな功徳があるか」とたずねた。
達磨大師はそっけなく「無功徳!」と答え、金や権力地位があれば誰でもできるようなことを、
自慢たらしく口に出すこと自体間違っている、なんで功徳があろうか、
そんなご利益待ちのさもしい根性なぞはお捨てになることです。
と武帝をさとしたのです。無功徳無欲は禅の説く大切な教えなのです。
「仏心天子」といわれる武帝も会ってみれば仏教の狂信者に過ぎないことを知った大師は
揚子江を渡って魏の国におもむき、嵩山の少林寺に留まり、
壁に向かって九年間も座禅をし続けました。それで人々は「壁観バラモン」と呼んだのです。
今に見る手もなく、足もない福達磨の形は一心に座禅する姿から生まれたものであり、
顔のものすごい形相からは豪傑のかもしだす力強い勇猛心と、
えも言われぬ優しさを学びたいものです。