碩水寺にはもう一つ達磨像があります。当碩水寺の建築が諏訪で生まれた立川流建築によるものであるということが解っています。文化十年の火災の後、文政三 年(1820年)に再建されています、その時の棟梁が二代目立川和四郎富昌であったであろうと言われています。富昌は、自分達の手がけた建物に時間の合間 をみて小さな仏像を彫り、奉納していったそうです。この達磨像の下に”立川匠富昌” と彫られていることからそのように言われています。