さわやか法話  23  迷える子羊・・・

 今年の干支は羊、”A stray sheep”この英語、 今でもフッとつぶやくことがあります。つまり”迷える子羊”と訳します。 中学の頃、英語の先生が『いいか、君たちは皆、いや人間みんなと言っていい、 みんな迷える子羊なんだ。荒野に放り出され、ちっぽけで弱く、愚かにさまよう子羊のようなもの、 みんなストレイシープだよ、忘れるでないぞ。』と、語ってくれた。 その言葉が今でも忘れられずに、妙に印象深く私の胸にきざみこまれているのです。
 さあ、新しい年の出発です。羊年、人の良さそうで憎めない眼、どこかおどおどしているような羊のしぐさを思い浮かべながら、 フッとついて出たストレイシープ。人生をだいぶ永く生きてきた現在でも、迷うことばかりの日々の暮らしです。 西洋の考えでは、宗教(Region)とは、結びつける、関係づけると言う事で、 神や仏と人間が結びつく、またはうまくいかなかった時、再び結び直す、 それが宗教なんです。野放図で盲目的な行動は、必ず身の危険がつきまとい、群れの全滅があるばかりです。 砂漠の中、オアシスに辿り着き、泉の周辺に生える緑の草にありつけるにはどうしても羊飼いの導きに従わなければなりません。 その羊飼いの役目を負う僧侶である私も、なかなかニーズに応じた話し掛けは難しくてできません。 でも、迷える子羊に少しでも”羊飼い”の役割が果たせないものか、 その役割は微力でも果たしていかねばならないと思いを新たにしています。
 羊はギリシャ語では”前に進む”と言う意味だそうです。我ら、迷える子羊が少しでも前に進んで行けます様に念じながら、 どうぞ、今年も”さわやか法話”をご愛読のほどお願い申し上げます。
                       栄雄