さわやか法話30 骸骨の上を・・・ |
般若心経といえば中味は良く知らないが、“色即是空、空即是色”の一句だけは良く口にする方は多いです。
前回法話24で「骸骨の上を装うて花見かな」の句を借りて、
目に見うる“色”というきれいな姿のなかに、やがて崩れ行く骨という事実を見透かしてみる智慧、
それが“色即是空、空即是色”とお話しておきました。この一句には後日談がありまして、
その鬼貫の五十回忌の法要の時、遠い親戚のものが弟子たちと一緒に、鬼貫の霊を慰めようと一句を献じました。
前書きがありまして、『鬼貫翁は、“骸骨の上を装うて花見かな”と詠んだが、今、
五十回忌にあたって私は「青梅はその骸骨の実りかな」、この句を捧げる』ということを書いてあるのです。
「骸骨の上を装うて花見かな」が色即是空とするならば、
「青梅はその骸骨の実りかな」は空即是色と反転してくる意味合いです。
つまり、空しく滅び行くものが新陳代謝して今しっかりと色として目の前にある、
蘇ってくる。パッと花と咲いていて、一夜のうちに散っていった桜花もいずれは土に返る。
同じように人間も骸骨になるのだが、その骸骨はいずれ風化して土になる。それが梅のこやしとなって、
今、立派に青い、おいしそうな実がなっている。この実のなかに滅んでいったもの、
つまり色即是空が立派に生きているではありませんか、ということなのです。
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