さわやか法話43 一日食わず |
今の中国が唐と言っていた時代のお話です。百丈禅師という、たいへんすぐれたお坊さんがおられました。その教えを受けようとたくさんの人たちが、お弟子になるために集まってきました。お弟子の数が増えるにしたがって一番困ったことは食べ物でした。そこで、百丈さまをはじめ、お弟子たちは力を合わせて、畑を耕し、お百姓仕事を自分たちの修行としてやっていました。毎朝、食事が終ると、いつも真っ先に畑へ出るのは、きまってお師匠の百丈さまでした。でも、お年寄りの百丈さまに、あまり働かれては、お体が心配になります。そこで、「お師匠さま、仕事は私たちがやりますから、少しはお休みください。」お弟子たちは口々にそう言ってみえるのですが、「いやいや、畑を耕したり、草を取るのも大切な修行じゃ。私だけが楽をするわけにはいかない。」百丈さまは、そうおっしゃって休むどころか、ますますはりきって働くのでした。「お年も七十すぎだし、お病気にでもなったら、それこそ大変だからなあ」 「とにかく、どうすればお休みしていただけるか、何かいい方法は・・・・」 「そうだ、お仕事の道具を隠してしまえば、働こうにも働けないだろう」ということでお弟子たちは次の朝、百丈さまの道具をこっそり裏山に隠してしまいました。いくら百丈さまでも道具がなくては仕事ができません。仕方なくご自分の部屋に戻って一日中座禅ばかりしていて、食事の時になっても何も食べようとしません。弟子たちは困ってしまい、そのわけをお尋ねしますと静かにおっしゃいました。「毎日、規則正しく座禅をしたり、作務(掃除)や、畑仕事をするのは、私にとっても大事な修行なのだ。しかし、今日は、一日畑仕事をできなかった。どうして食事をいただくことができようか。“一日作(な)さざれば、一日食わずじゃ。”」私達は誰もが自分の作すべき役割とか務めを持って生きています。その勤めを立派にはたさないかぎり、私は食べないというのです。 |