さわやか法話 44  お盆に思う

 お盆の時節になると、寺には珍しいお客さんや、お久しぶりのお客さんが来訪してくれます。故郷恋し、父母恋しの切なる想いが菩提寺へと足を向けさせるのでしょう。
 青雲の志を抱いて故郷を離れて、大阪、東京へと出かけて行った昔の次男坊、三男坊たちが齢を重ねて70,80歳の老境を迎えるころとなった。かの地で根をおろし、子供から孫へと世代も育ってきている。まあまあ不自由のない老いの日暮ではあるが、手をおりて昔の友を数うれば、亡きは多くぞなりにけるかな、優しい父母も亡くなった、あの友達も、縁のあった親しい知人、縁者も亡くなったと指を折って数えてみればやはり想いは、故郷の父母の思いでの中に、自分を育ててくれた山河のなかに誘われてしまうもの。
 「アナンよ,私たちも故郷に帰ろう」、80歳を迎えて死期の近づくのを悟ったお釈迦さまも伝道の旅を止めて、ヒマラヤの里、ルンビニの故郷目指して最後の旅に出ます。しかし、クシナガラという地に辿り着いた時、力つきお亡くなりになられるのですが、頭を北に、顔は西に向けて床につかれるのです。北枕、それは臨終の一念まで胸に抱き続けておられた故郷への回帰であり、亡き父母への強い思慕の情があったのです。今でも残す北枕の風習は、ここに由来しているのを理解し、深く味わって欲しいのです。
 「ふるさと」、何と温かな、うるおいに満ちた響きをかなでてくれることか。盆の、行く夏の名残に『ふる里は遠きにありて思うもの、そして悲しくうたうもの・・・』としっとり心をぬらしてみてはいかがでしょう。