さわやか法話 46  「平成19年 年頭の法話」

 本堂の前に行って手を合わせている、鐘をつき終わった可愛い子供達に感想を聞いてみました。「気持ちいいでしょう、どんなお祈りをしたの」 すると、ある子は「お年玉を沢山下さいとお願いしたの」また、ある子は「お婆ちゃんの痛い足が治りますように」 「勉強ができますように」といろいろです。少々太り気味の子が「足が早くなるように」と小さな声でもらしました。運動会で負けてしまうのが本当に悔しいのでしょう。そんな子供心にも、少年にとっては切実な祈りが不憫に思えたことでした。
 初心、発心と言いますが、発心は一度だけでよいかと言うと何万発、何千発でも発心しなければいけないと言う教えがあります。誰にもいまの境遇を考えて、こうなったらいいのにな、と思う理想の境地、あこがれの世界に向けて発心の頃があります。ところが、途中で挫折してしまい、過ぎてしまえば自分のなまくらだけが悔やまれるという、初心を何処かに忘れてしまうのが、あわれ現実の姿です。挙句の果て、発心なんかしなければよかった、発心なんかしたってどうせ目的など達せられるはずもないと投げやりになってしまってよいものかということになりますが、『一発菩提心、百千万発するなり』 一度発心したら苦しいだけと考えるのはまちがいで、一度発心したら、何度も何度も発心することだ、というのです。
 一年の計は元旦にあり。また、心の鐘を打ちならし、発心の時でもあるようです。