さわやか法話57 看脚下(きゃっかをみよ)

 新しい年を迎え今年も皆様にとってよりよき年でありますようにお祈り申し上げます。
 ある夜、法演(ほうえん)という禅僧が、三人の弟子と帰る途中、風の為に手にしていた灯火が消えました。すると、禅師は弟子達に「一転語を下せ」と命じます。転語とは、さとりの心境を表す言葉です。つまり、「暗夜を行くには、灯火が何よりたよりになる。それが今消えたのだ。さあ、お前らはどう行くか、速く言ってみろ。」ということです。暗夜行路は人生をさしています。杖とも柱とも頼むものを失った今、人生をいかにおくるのか、現在の心境を問い詰めたわけです。さて、三人の弟子はそれぞれ自分の考えを述べました。中でも仏果えん悟という方の「看脚下」の一語が禅師のお気に入りました。看脚下、足元をよく見る、という平凡な言葉です。灯火が消えたら足元によく注意するのがなにより大切です。禅師の玄関によく『看脚下」とか「照顧脚下」と記した掲示を見られたことがあると思います。それは「履物をそろえてぬげということです。仏道は足もとにあることを悟らせるのです。
 仏さまは、遠くにおられるのではなく、自分の心のなかにおられることに気をつけるのです。私達の生活の中で一番大切なことは、自分を見つめることです。自分はどういう立場におかれているか、自分はどういう人間であるのか、自分は何をしようとしているのか、それがはっきりしないで、ただ、向こうばかり見つめて走っているところに誤りが出てくるのです。「禅」という教えは、自分の心の中に灯を持つことを教えています。みにくい自分の心のどん底に、いつまでも消えない灯、永遠に亡びない命を見出すのです。手に持つ灯火は消えても心の光は消える時はありません。
 禅寺だけでなく皆さんの玄関にも、居間にも「看脚下」の文字を記して朝夕ながめていただくようおすすめします。