さわやか法話 62  家庭に個の真仏あり

 中国の昔の本ですが、『菜根譚』という本があります。その本の中に「家庭に個の真仏あり」という言葉があります。家庭内に一個の本当の仏さまがあるというのはどういうことでしょう。それは家庭の人々が真心をもって、和らいだ心で生活し、にこやかな笑顔で、思いやりのある言葉をかわすこと、それによって親子、兄弟、夫婦の間が温かい心が通い合うようになる。これが仏の心であるという意味のように受け止められます。
 知っておきたい「和顔愛語」の心 この「家庭に個の真仏あり」の気持ちを仏教の方では「和顔愛語」と言っています。和顔愛語とは柔らかな顔つきで人に接し、愛情のこもったやさしい言葉をかけあうことでありますが、この柔和な顔をすることも大変難しいことであります。顔というものはその時の気持ちをはっきり表しています。怒った顔や、とげとげしい顔を突き合わせていたのでは家の中は自然に暗くなっていきます。
 けれど一面一人の笑顔が家中を明るくしていきます。愛語については『修証義』というお経の中に「愛語というは人々を見る時、まずやさしい慈しみの心を持ち、母が子に対するような気持ちで言葉をかけることだ」とお示しになっています。まあ愛語まではいかなくても朝起きて「おはよう」とか「御苦労さま」ぐらいは、何としてもお互いに、交わさなければなりません。親子や夫婦がお早うも言えないような関係ならそれはあまりにも淋しいことでありますし、このような冷たい人間関係が続くと、人はますます孤独に追い込まれ、断絶を一層深めてしまいます。「益なき千の言葉より、心の安らぎを得る一言こそ命の言葉なれ」と法句経というお経が示しております。
 時代はまだまだ深刻になってまいります。ギスギスした人と人との接触を続けていかなければならないと思います。でも、私たちは「家庭に個の真仏あり」、その仏とは、「和顔愛語」であることを深く心に刻んで生活することが大切のないでしょうか。