さわやか法話 66 「低処低平、高処高平」

 暖冬の今年、ようやく大雪があって、スキー場やあちこちでの雪まつりを開催するところは雪集めに苦労されているようですがこれでホッとしてしていることだと思います。
 やはりあるべきものはあるべきように、それぞれにそれらしくないと困ります。大寒は大寒のように、人間のご都合で嫌ってばかりいたのではなりません。この大寒の骨身にこたえるしみぐあいもまたいいのです。
 さて、道元禅師の「典座教訓」というお示しの中に
『低処低平、高処高平』という教えがあります。禅寺では典座とはお勝手をつかさどる役職のことなんです。お勝手をする人は、食器とか道具類を真心こめて綺麗に洗い、洗い終わったら「高処に安ずべきは、高処に安じ、低処に安ずべきは低処に安ぜよ」と。つまり、それは高い場所に置くべき物は高い所に置いておけ、低い所に置くべき物は低い所に置いておけというんです。つまり、お茶碗とか小皿、醤油などと危なっかしい物は、低い場所に置き、桶とか箸とか壊れたり、こぼれる心配のない物は、上の場所に置いておけばよいと心こまやかな言葉が述べられているのです。お勝手の調度品についての教訓だけでなく、私たち人間の在り方についても考えるべき問題が含まれているのがわかります。人はそれぞれ異なる特色を持っています。つまり、天井は高きにあるから尊く、反対に床は低きにあるから卑しいわけではないでしょう。床が天井の上にあっては用をなさず、天井が床の下にあっては用をなさないように、天井と床の位置の高下の位置の差はありますが、どれも家を作り上げるという役割においては、平等の価値をもっているのです。
 多くの人たちが、それぞれに私とは差異のある立場を生きておりますが、社会を作り上げるという役割においてはそれぞれにかけがえのない価値を発揮してしていてくれるのが分かります。
 ある評論家が「悪平等のはびこる成金国家になっては困る」と言っていましたが、金という魔物で、かけがえのないはずの私たちの価値を蹂躙されてしまうのが悪平等であり、その差別が怖いと思うのです。