さわやか法話7 ”夫れ 人の世にあるは・・・・・”

 道のべの雑草の勢いの凄いこと、雨上がり の後は草取りに追われます。 まるで雑多の草々が、俺が俺がと競いあっているように思えます。 そんな雑草の生い茂る有り様を見て、あの良寛さまが
”夫れ人の世にあるは・・・・、”
つまり私達の人の世に生きる有り様に似ていると一首の漢詩を残しています。 『夫れ 人の世にあるは、草木の参差たるが如し』・・・
人の世の有様は、草や木が勝手に入り交じって雑然たるにも似ている・・・・
『共に一種の見に執し』・・・
とかく人間は一方的な見解に執われ・・・
『到る処、互いに是非す』・・・
いろんな場面でお互いが是だ非だと論じ合い、争いあってもいる・・・
『我に似たれば非も是とし』・・・
自分の見解に合っていれば、本当は間違っていてもそれが是で・・・
『我に異なれば是も非となす』・・・
本当は真実で正しいことであっても、自分と異なった意見だと非と決めつけてしまう・・・
『唯己の是とする所を是とし、何ぞ他の非とする所を知らん』・・・
ただ、自分の見解、考え方だけにとらわれてしまって、どうも他人の見解などを認めようとしないのではないか・・・
『是非は始めより己に在り、道は固より斯くの如くならず』・・・
是だ非だと決めているのは、始めより自分の都合によってしまっている。 本当の人とのつきあい方、生き方は、そんなものではない・・・ と良寛さまは戒めています。何が是で何が非か、冷静な判断をしないで、 「我」と「我」で言い争ってしまいがちです。もっと俺が俺がの「我」をすこしでも押さえてみなくてはと思うことしきりです。